ありがとうだけでは物足りないけど

息子が2階から降りてきた

おもむろに冷蔵庫を開け飲料をひと口飲み

動かなくなったミルの隣りで今、横になっている

 

我が家の男たち、すなわち息子と私は

妻と娘のように彼女をつまりミルを

かわいがった訳ではない

ミルと妻と娘の女子会を眺めていた

それが日常だった

 

息子に問いかける

ミルのこと好きだった?

さあ、きらいじゃないよ

と2階にあがる

 

愚問だ、はずかしくなった

 

最期まで頭のよい、気遣いのできる家族だった

妻がいて息子がいて娘が学校から帰ってくるまで頑張った

私は間に合わなかった。けどいつも土曜日は仕事なのに今週末に限って連休になっていた

 

仕事中、私用スマホが鳴った。妻からだ

直感的に、ミル?と問う

ヤバい

切ったあと娘から

死んじゃった、パパ帰って来れる?

と泣きじゃくる電話

仕事を切り上げた

 

意外と冷静にのんびり歩いてアパートに戻り

身支度をしていつもは使わない高速道路にのった

財布忘れた、免許証がない

速度を落とす

 

家に着くと泣きつかれた妻と娘。手際よくゲージは片付けられ、レンタルの酸素吸入器は段ボールに入れられ宅急便の伝票が貼ってあった

 

ミルはバスタオルをかけられ横たわっていた

楽になったんだよ、ずっと苦しんでたからねと目を腫らした娘がミルをなでる

ここ数ヶ月昼間ひとりでミルといるのが怖かったと妻が涙をこらえる

2階から息子がオンラインゲームでゲラゲラ笑う声が聞こえる

 

私はミルを撫でた

痩せ細ったミルをなでる

全盛期の半分になった体をなでる

綺麗好きでいつも顔を洗っていたのに

キャベツの緑色がこびりついている顔をなでる

何かを企んでいるような赤目をとじた顔をなでる

生きてたときこんなにミルのことをなでたことのない自分を嫌悪する

 

去り際のタイミングまで考えてくれたミル

あなたの強さを尊敬します

 

日曜日、家族揃って感謝を込めてお見送りをする

見送っても家族であることはかわらないから心配しないで…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミル

我が家にはミルという真っ白なうさぎがいる。

本名はミルク。

けど本名で呼ばれたことは我が家に来た数日間だけだ。

いつのまにかミルになっていた。

なかなかアタマの良い子で家族の序列をつけていた。

妻、長女、長男、そして私は敵。

妻は毎日なでているのでよく懐き、ミル!と呼ぶと寄ってくる。よくふたりで顔をつけて横になっていた。

長女は小学低学年のころ時折、ミルの攻撃を受け噛まれて血を流した。

ミルの噛む力は容赦なく、娘は泣いた。

やがて娘は妻に同様、ミルに優しく接するようになり、いまではお互い心を許している。

長男は最下位で幼稚園のころ、毎朝ミルの奇襲にあい噛まれた。それが日課

うさぎがこんなに頭がいいのかと感心した。息子はたまったものじゃない、見かねた妻がミルを叱ってたくらいだ。

私はと言えば、ちょっかいを出すから基本、ちかづくと逃げた。

だが酔っ払って無防備になると決まって噛まれて出血した。

いちばんヒドかったのは酔っ払って横になったとき鼻を噛みにきたことだ。

直前にちょっかいを出した私が悪いが出血レベルでなく流血だった。

翌日鼻に絆創膏を貼った私の顔を見て同僚の笑いの種となった。

 

そんな日々はもう来ない。

今、ミルは酸素吸入器がついたケージにいる。約3ヶ月。

体は全盛期の半分だ。

私は去年から単身赴任になっているから会うのは週末だけだ。

それでも先週まではまだ多分大丈夫とタカをくくった。

今日、帰ってきて夜中、ゲージの中のミルと向き合うともう会えないかもしれないと感じた。

 

私の母がペットショップから無償で譲りうけたミル。子どもたちがウチで一緒に暮らしたいと私にコントのように土下座して我が家に来たミル。

 

私は傲慢にも自らの命を軽視するタイプだ。

今、なんとか呼吸することに懸命なミルから、敵のミルの姿から、、、意志だろうが本能だろうが生きようとする姿からミルのことを生きてるうちに書き留めないと後悔するから。

まだありがとうは言わないから。

 

 

起きたら雨が降ってた。

結構強く。

昨日から何だか鬱屈としている。

 

人に何かをしたい。微力ながらも。

思うだけで何もできない。

どこで間違えた、何がいけなかった

わからない。

 

人が幸福そうに見えて仕方がない。

誰もが傷を抱えていることはわかってるのに。

だけど見えるのだから仕方がない。

 

今日もトボトボ歩く。前進してるのか後退しているのかわからないまま。

それだけだ

昔は文章書くこと大好きだったのに

今は何だか面倒だ。

 

そもそもネタがない。すべてに興味が失せてしまったし、刺激的な仕事をしている訳でもない。

 

目的もなく彷徨って生きている。

 

不安や不満がたまに襲ってくるけどただじっと膝を抱えて時が過ぎるのを待つ。

 

そう、待っているのだ。幸せな感情も涙する夜も数え切れないほど経験した。ずっと幸福は続かないし、時間はかかるが涙だって枯れ果てる。

 

ただ今は何もない、それだけだ。